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「佐倉としたい大西」という声優ラジオ番組のいつかの回で「16歳って人生が一番楽しい時期じゃないの?」と大西沙織さんと佐倉綾音さんが話していて,まあそういう明るい人生もあるよなという気持ちになった.

じゃあ自分はどうだっただろうかと思うと,どうにも高専時代は人生が噛み合っていなかったという気持ちになる.

自分の数学や情報処理などの学問に対する意欲や望みと,高専での授業でのそれとがうまく合致していなかった.合致していない理由は自分が勘違いしていた部分と,自分が良さを理解できなかった部分があったように思う.
電磁気学や電子回路などは今やり直すと楽しいのかもしれないけれども当時は本当に意味不明で授業中はほぼ寝ていた.試験前に一夜漬けをしてどうにか赤点を免れていた.
その他の授業についても「これがどういう分野に適用できるのか」「どういう事象を明らかにできるのか」という点が全く見えなかった.たとえば古典制御のPID制御は,「二階微分方程式で記述されるリアルタイムな事象をモデル化し,それを解く」という話であって,今思うと非常に有用性が高いし様々な事象に適用できるだろうと思うのだけれど,そのような見方が全くできなかった.
情報系の授業もC言語アルゴリズムの授業だけで,アルゴリズムは一体何の役に立つのか本当にピンときていなかった.なので全く面白くなかった.

五里霧中というよりむしろ真っ暗で,このまま進んでどうなるのだろうという漠然とした不安や焦りだけがあった.せめて卒業後は工学の中でも今の領域以外を専攻しようと思った.数式で何かする領域がいいという気持ちは残っていたので,経済学部の工学寄り学科や工学部で経済学が学べる学科に行くつもりだった.

大学に入って,統計の授業を取り,機械学習を知り,大学院に入り,バイト先で遊ぶようになってようやく「この領域ならばどうにか生きていけるのではないか」と思った.

大学院を出た後は専門領域を最大限に活かせる会社に就職した.しかし,これはこれで上手くいかなかった.今思うと,一社目で働いていた頃は高専時代とは別の意味で人生が噛み合っていなかったと思う.
労力に対して成果が得られなかったり,そもそも見込みがないのに頑張りすぎていたり,損切りが上手くできていなかった.ボロボロになったネジに対して必死にドライバーを回しているような感じだった.
就職して4年経ち,信頼できる先輩がどんどん会社からいなくなるにつれ,自分の心身も限界になり,このままではすべてが終わりになってしまうという気持ちになってようやく転職した.
「入社してから3年以内の一定の成果が出せなかったら適性がなさそうなので転職しよう」とは入社時からずっと思っていて,親しい友人や両親などには話していた.退職直前の自分を知っている人から「もっと早く辞めればよかったのに」「辞めて正解だった」と声をかけていただいたが,正直なところ「自分は能力不足だった」という挫折感があった.

二社目はアウトプットの方向性などが違うだけで,大学や一社目で身につけた領域の知識を全て活かすことができる会社である.むしろ足りないので日々論文を読み実験を繰り返している.
転職してそろそろ2年経つ.ようやく「これぐらい力を入れるとこれぐらいの結果が得られるだろう」という見込みが立つようになってきた.
これは単に注ぎ込んだ時間に対して結果なりコードなりが得られるというわけではなく,関係者や環境などの様々な要素を含めた上で物事がどれぐらい進むか,ということを指している.
なので,力を入れるべきところでは少し入れて,まだその時ではなさそうな事案は流す,という切り替えが少しずつできるようになってきたように思う.

ということをなんとなく思い出していた.