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なぜ大久保瑠美さんにファンレターを書いているのか

前提として,自分はあまりまめにファンレターを書いていない.年 4 通程度であり,合わせて 10,000 字ほど書く程度である.

これを読んでいる皆さんはなぜ声優さんにファンレターを書いているのですか?

日高里菜さん23歳のお誕生日おめでとうございます。 - んああ.

最初にファンレターを書いた時は「演技やイベントの感想を伝えたい」という気持ちだった.
今もその気持ちは変わらないけれど,それに加えて,書く過程で「なぜこのエピソードを思い返しているのか」「なぜこのシーンが記憶に残っているのか」「なぜこれをわざわざ汚い字で書いて伝えようとしているのか」を考えることで,自分の中での感想や向き合い方が整理されるのが楽しく思えるようになった.
むしろ書き終わったあとは事務所に送るのではなく,神社でお焚き上げしてもらったほうがいいのではないかといつも考えてしまう.きっと燃やすとネバネバとした黒い煙と異臭が出る.

冒頭に引用した記事では「本人へのフィードバック」「覚えてもらう」という点について,むしろ前者について語られているけれど,これは自分とは違うと感じた.

まず後者については,大久保瑠美さんと直接話す機会が恐らくこのまま未来永劫無く,自分のことを覚えているかどうかが観測できないため,考えるだけ無駄である,という立場にある.
そもそも馴染みの客にイベントで手を振るわけでも,ラジオなどで「名前や顔を覚えている」というわかりやすい振る舞いをする人でもなく,覚えているのは彼女の好みのメールを送る一部の人物であり,手紙などあまり効果がないように思う.
名前を覚えられたからなんだというのか,何が変わるというのか,というのがよく分かっていない.恐らく「名前を覚えられてからが本番」という事なのだろうけど,何が本番なのかやはりわからない.
名前と顔を覚えてもらいたければ目の前で焼身自殺か切腹するのが一番だ,とここまで書いたところで,やはり自分は名前を覚えられたいのではないか,防衛機構なのではないか,という気持ちになりはじめたのでここで考えるのをやめる.

前者については,本人は別にフィードバックなどするつもりもなく,そういった内容を必要としていないのではないかと考えている.
インタビューなどで大久保さんがよく語るエピソードに,初のラジオパーソナリティとして A&G NEXT GENERATION Lady Go!! という生放送番組が始まった時の事を振り返り,「『自分の話は面白くないんじゃないか』と泣いていた時に,お手紙で『るみるみが楽しそうに話す姿を見ていると楽しい』と言われて救われた」というものがある.
そういった時期はデビュー当時のことであって,今の振る舞いを見ると声優としての個を確立しきっているように思う.
自分が過去の七森中☆ごらく部の活動を知らない,立ち会っていない事に対する負い目はこのあたりから生じているのだと思う.

先日津田美波さんのバースデーイベントに行った.とても良いイベントで,津田さん本人だけでなく,同行した津田さんファンの知人も本当に楽しそうだった.
それを見ながら,声優からファンへの向き合い方も人それぞれであると思った.
お渡し会を行う,サイン会を行う,ブロマイドを売る,バースデーイベントを開催する,ツイッターやインスタグラムで自撮りをアップロードする,直メを配信する,ファンからプレゼントされた服やアクセサリーを着用する,ツイッターでリプライを返す,チェキを撮影する,ファンクラブを結成する,バスツアーを開催する,ファンレターに返事を書く,色々あるわけですが,どれもがその人なりのファンへの向き合い方であると思う.
ここに挙げたことを何一つ大久保瑠美さんが行わなかったとしても,それは別に大久保瑠美さんがファンをどうでもいいと思っているわけではなく,本人はきっと別の形で応えているだけなのだろう,みたいなことを考えた.もしかするとファンのことなどどうでもいいと思っているのかもしれないけれど,そんなことを考えても意味がない.
演技やトークを聞くことができる,姿を見ることができることをただただ感謝するのみである.

遠藤周作「沈黙」を読み,マーティン・スコセッシ「沈黙」を見た時も同じことを考えていた.

自分はあまり他の大久保瑠美さんのファンとほとんど交流が無いため,他の人がどのような考えを持っているのかはわからない.いつかどう考えているのか聞いてみたい.